清水サユリ Singer Song Writer♪

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zoom RSS サユリマニア Biography♪

<<   作成日時 : 2009/01/10 00:28   >>

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日本のロック歌手 ・シンガーソングライター・プロデューサー

                                                                                                                                        
1973

第二次ベビーブームピークの年の 1月17日 雪の降る正午 東京都大田区大森にて某IT企業サラリーマンの父と大学の体育教師の母の三姉妹の長女 清水家の先祖は、現在の浅草須賀神社の真向かいに清水近清堂(しみずきんせいどう)と言う毛筆店を構え、全盛期には30人の職人を抱える下町の筆職人(習字の毛筆を創る職人、主に地域の小学校などから受注があった。)須賀神社の石碑の裏に先祖の名前が彫られている。3代続きの江戸っ子で清水の明るくハッキリしているお祭り大好きな性格と義理人情派で頑固な職人気質はこのルーツからではないかと思われる。叔父は元ボクシング東洋フライ級チャンピオン三迫仁志(日活映画『勝利者』で石原裕次郎さんと共演)。親戚に『ユキエ』『折り梅』『レオニー』の映画監督、脚本家、映画プロデューサーの松井久子(旧姓清水)がいる。
            
1976 

幼稚園入園と同時に埼玉県朝霞市へ移住  教育者であった母親は躾に厳しく、周りの子供より門限が早かった。母の勧めで4歳からピアノのレッスンに通い始め、その後11年間通い続ける。幼稚園年長の頃、父親から買い与えられたワイヤレスマイクで妹とピンクレディのものまねごっこに明け暮れ、近所の教会の日曜学校で賛美歌を歌いファルセットを覚える。幼少期はオテンバで、男の子と戦隊ゴッコをしたり、男の子の中に女の子1人でドッジボールに混ざって遊んでいた。サイドスローの変わった投げ方する為ボールが何処へ飛んでくるか分からず恐れられ必ず最後の1人に残っていた。小学生時代は松田聖子さん、中森明菜さん、特に小泉今日子さんは部屋に特大ポスターを貼るほどの大ファンで80年代アイドルの唄ばかり歌っていた。当時の担任の教師によれば、個性的で成績はトップクラス、スポーツもできた。特に50m短距離走のタイムは学年女子で1番速く、運動会では毎年リレーの代表選手に選ばれる目立つ存在であったという。小3の後期クラスの投票にて学級委員長を務める。小4、近所の市民会館で行われた『8時だよ全員集合❕』の公開生放送を見に行く。プロレスのJBエンジェルスのファンで、土曜日は授業が終わると女子プロレスの生中継を見る為に走って帰った。スカートめくりを仕掛けて来た男子5人を10分間の休み時間内にプロレス技をまじえた大乱闘のうえ全員倒し内2人泣く。妹に絡んでた近所のガキをハイキックで一撃。その他通学路途中の防空壕跡をクラスのガキ大将軍団と女の子は清水1人の計5人で探検し、見回りのみどりのオバサンに厳重注意を受ける。家の前の公園にあるビルの3階ほどの高さの木のテッペンまで登り頂上で涼むのが好きであった。この頃のやんちゃエピソードは数知れない。毎年硬筆展や毛筆展に入選 小4の3学期より地元でも有名なスパルタ学習塾に通い始める、小6で中2数学の問題集を問いていたおかげで中学時代はほとんど勉強しなくて済んだと言う。たまに友人とバックレ、ゲームセンターで遊びほうけていた。この頃のことを『40℃の自由』(セカンドアルバム『Eternal Gipsy』収録曲)で歌っている。この時期から「あねご」と呼ばれるようになる。

〜1984

小6 60mハードル朝霞市第6位入賞 クラスの男子の「好きな女子ランキング」人気投票で2位になる。
近所の高校生のお兄ちゃんの部屋からもれ聞こえて来たビートルズにハマり、クリスマスに母からビートルズのアルバム『ロックンロールミュージック』をプレゼントされ洋楽ロックばかり聞くようになる。コーヒーはモカをブラックで飲むマセた子供であった。ピアノの腕前は学年でも群を抜いており合唱コンクールや卒業式の合唱は常に歌うことは無くピアノの伴奏をしていた。
                                                    
1985  

中学入学直前の春休みピアノで初めて作曲をする。 バレーボール部に入部アタッカー・セッター両ポジション 部員総数110名のマンモス部であったが、入部後即先輩を出し抜きレギュラー入り、顧問は地元の公立中学では珍しい東大卒の数学教師であった。朝練や放課後練習のバックレが顧問にバレ、一時レギュラーの座が危うくなるが3年間レギュラーの座を守り続け、相手チームがズッコケる自ら編み出したスーパードライブサーブで連続得点を決める。部活をしながらも週1のピアノのレッスンには休まず通い続け、この頃のお気に入りはバッハのインベンション。今でもピアノを前にすると思わず弾いてしまう程である。自室にこもり洋楽を英詞を見ながら歌っていると隣の台所から母親が聴いており発音を直されていた。スポーツ能力テストで50m短距離走学年女子でトップの自己最高タイムの 6秒8をたたき出す。(たしかに逃げ足が速い。)夏休みに初めて応募した東宝芸能養成所のオーディションで、「私、あなたのことが好きです。」というもっとも恥ずかしい告白のセリフを大林宣彦監督の前で体当たりで演じ合格 休み時間はその当時流行っていた赤川次郎作品を読みふけっていた。

1987  

バレーボール部初の県大会出場を果たし、高校バレー部顧問にスカウトされる。                     
背番号は当時から好きな数字ラッキー”7” ショートカットでボーイッシュ、レギュラーメンバーの中でも目立っていた為、後輩や他校の男子生徒にファンが多く、バレンタインデイに後輩の女子生徒からチョコレートを貰う。     
税金の標語コンクール 朝霞市長賞受賞
良い歯のコンクール 優良賞受賞 (虫歯が1本も無い。)               
『ベストヒットUSA』の影響でシンディーローパー・マドンナ・ホイットニ−ヒューストンなどの女性ボーカリストやアイルランドのロックバンド U2に夢中になる。体育祭の応援合戦でチアリーダーを務め制服を改造しマドンナの曲をバックに振り付けを考え踊りまくる。部対抗リレーの第一走者に任命され、陸上部もおさえ女子バレー部がブッチギリで優勝する。音楽の期末試験で、一人ずつ『翼をください』を歌唱する試験が行われ、清水の歌の上手さが明るみになり、学年でも噂になる。担任の教師よりクラス全員日記を書くことを義務付けられ、内容の良い生徒は皆の前で担任がその日記を読むことになっていた。清水の書いた日記は文章が大人びており、帰りのホームルームで何度も読まれた。県立高校の推薦枠があることを知り、無試験合格を狙い目処が立つとサッサと塾を辞めた。周りの同級生達は、受験の追い込みでこれからという時期に塾をあっさり辞める清水の行動に驚いていた。高校受験の内申点を上げるため自ら園芸委員会の委員長に立候補、全校生徒の前で朝礼台に上がりタダでさえ緑の多すぎる田舎の中学で「緑を増やしましょう!」と演説をする。

1988

県立高校商業科へ推薦入学                                                     
高校進学祝いに父親から金一封をもらうと、直ぐさま池袋のYAMAHAでピンクのFenderJapan Stratocaster 8万円を7万円に値切って購入。ソフトボール投げを33mかっ飛ばし陸上部の顧問から槍投げやらないか?とスカウトされ丁重にお断りする。文化祭で自主製作映画の主役に抜擢されセーラー服でナゾの転校生を熱演         
音楽の試験で、松田聖子さんの『抱いて』を音楽室のグランドピアノで弾き語り、クラスメイトに高評価を得る。   
この頃から自宅のステレオのダブルデッキを駆使し、デモテープのレコーディングを始める。自作のインストゥルメンタルと『雨の帰り道』『ここで立ち止まってるよりも』を含むピアノ弾き語り10曲入りのデモテープを友人数名に配る。数名の友人はこの頃既に『ここで立ち止まってるよりも』を歌っていた。

1989 

業界大手バーニングプロダクション養成所のオーディションに合格    
2次の歌唱審査では中山美穂さんの『You're My Only Shinin' Star』を熱唱した。
小学生の頃から憧れていたハンバーガーショップでアルバイトをしながら半年間のボイストレーニングなどのレッスンの後プロテストに合格 空前のバンドブームでSHOW-YA 、アンルイスなどの女性ロッカーに影響を受ける。   
この頃から授業をバックレ整理券を獲得し月2回は放課後制服のまま様々なアーティストのライブを見に行くようになる。 映画『疑惑』松本清張原作 野村芳太郎監督 桃井かおり主演作品を見て衝撃を受け、松本清張ファンになる。偶然にも父親も清張ファンであった為、父親の書斎から拝借して読みあさる様になる。

1990

SONY MUSIC SD製作部新人発掘オーディションの2次審査でソニー・ミュージックエンタテインメントの市ヶ谷ビルの地下スタジオに呼ばれる。プロフィールに趣味 作詞・作曲と書いた為、プロデューサーから急遽オリジナル曲が聞きたいと言われ、その場にあったピアノで『ここで立ち止まってるよりも』を弾き語り、初めて人前で自身のオリジナル曲を歌う。「オリジナルの方が声が出ていて良い」と評価される。『プチセブン』等数社のteens向け雑誌の読者モデルコーナーに掲載される。 
全国高等学校クイズ選手権の西武球場関東地区予選で1問目敗退           
同級生の女の子で組んだギャルバンド 『PINK BELLS』(ピンクベルズ)とバイト先の仲間と組んだハードロック バンド 『Tramelling chain』(トラメリングチェーン 束縛の鎖の意味)共にボーカルを務める 。文化祭で奇抜なメイクに編タイツのボンテージスタイルにライダースジャケット姿で激しいロックサウンドにロングヘアーを振り乱しヘッドバンギングで歌う『Tramelling chain』のライブを見た後輩の推薦で、                                 
島村楽器主催Anarchy in the B2 High School Band コンテストにて約250組の応募の中グランプリ受賞  
当時の友人によると歌が上手く、洋楽をカバーしたり、声に迫力があり激しくヘッドバンギングをしながら歌う姿に見ている学生達は総立ちで大盛り上がり、ステージでのパフォーマンスは、既にセミプロの域に達していたとのことこのライブ直後から清水のあだ名が「女王様」になる。 アンルイスのライブを最前列のど真ん中の至近距離で見る。憧れのアンさんが3秒間清水を見つめて歌ってくれた。スポーツ能力テスト総合得点学年女子でトップを記録 卒業ライブの大トリで Deep Purple の『Highway Star』のキーボードソロを完コピ早弾きを披露する。

                    
1991

音楽専門学校のボーカル科へ入学 ボイストレーニングや音楽理論などを2年間学ぶ
入学2ヶ月後にはボーカル科の講師に実力を認められ小学館少女コミックレーベル オムニバスアルバム
『おもちゃ箱』に抜擢、同年発売 その他数枚のアニメサントラ盤にコーラスなどでも参加                
音楽学校の副科はドラムを専攻、持ち前のリズム感と音楽センスでドラムプレーもこなす。               
元イカ天の人気ギャルバンドのボーカルに抜擢され、営業でダチョウ倶楽部さんの前座でパフォーマンス、ショートカットだったからか、寺門ジモンさんに「荻野目ちゃん(荻野目洋子さん)に似てる似てる」と連呼される。       
新木場をドライブ中上空にそろばん型UFOを見る。                             
音楽学校の仲間で 『R3D』結成(アールスリーディー Vo.Gr.Ba.Dr の4人編成の紅一点ロックバンド)オリジナル曲は主に清水の楽曲で、都内・横浜のライブハウスにて 月1、2回ライブ活動開始                     
この頃は、YAMAHA EOS B500のシーケンスでTrackを創り、TASCAM4chのMTRに友人が母校の焼却炉から拾って来たYAMAHA FX500B ベースエフェクターのVocalリバーブにマイクを刺してデモテープ製作していた。    


1992 

新星堂 ROCK INN コンテスト 第16代グランプリ受賞(応募総数1700組 初代グランプリ横濱銀蝿 、ストリートスライダースなどを選出した老舗コンテスト)第一次書類デモテープ選考と、第二次クラブチッタ川崎の関東地区予選を勝ち進み、決勝大会出場枠4組に残る、日本青年館で行われた全国決勝大会の出場バンド中、メンバーの平均年齢が最年少の20歳、清水は19歳だったが将来性が評価されての受賞 審査員のビクタースピードスターレーベルの泉谷しげるさん担当ディレクターより、数日後メンバー全員表参道ビクターエンタテインメントの会議室に呼ばれる。同コンテストの予選会の見学に来ていたYAMAHA音楽出版のプロデューサーから声がかかり、急遽YAMAHA MUGIC QUEST 東京地区優秀バンド大会への出場が決まる。                                 
NHK BSヤングバトル関東甲信越北ブロック地区大会出場 (群馬・新潟・埼玉189組の応募より12組に選考される)NHK衛星第2放送にてテレビ出演  審査員の評価は「ボーカルの女性の存在感は見事でした。」賞の該当はなかったものの、番組エンディングではバックステージの清水の姿がかなり流れた。       
東芝EMI主催ビートルズコピーバンド大会に即席で組んだバンドでファンクアレンジで参加し決勝大会出場、当時ソングライターとして尊敬していた財津和夫さんが審査員におり、目の前で歌を披露する。その他さまざまなコンテストで高成績を修める。メンバーの足らない後輩のギャルバンドよりドラムを頼まれ学校のライブフェスティバルにドラムとコーラスで出演 プライベートでボーカルに誘われたパットメセニーのカバーバンドで元レベッカのドラマー小田原豊さんと共演 友人が所属していた事務所で、3人組のアイドルグループをデビューさせる企画があがり、3人の内1人は「ロックが歌えて不良っぽいキャラクター」の子を探している。とのことで、清水がピッタリだと紹介される。実際に事務所の社長と面談すると、プロフィールを見てデモテープを聴いた社長が、アイドルでは無くソロのアーティストとして売り出すことに決める。


1993

衝撃のバイオレンスが全米で話題となった日本のOVA史上に残る隠れた秀作            
『ジェノサイバー 虚界の魔獣』の挿入歌に自作曲『ここで立ち止まってるよりも』が決定、エンディングテーマ『Fairy Dreaming』作詞・曲 UMIZO 共にレコーディング 急ピッチでサントラ盤の製作が行われ、話しが来た5日後には本番のレコーディング1日で主題歌・挿入歌2曲のレコーディングをそれぞれコーラスパート共に1発録りでみごとにこなす。その当時のレコーディングスタッフは、清水の声のパワーと歌唱力に驚いていた。
同時にソロシンガーソングライターとしてメジャーデビューの話しが進んでおり、事務所間の協議の末、1994年の発売当時は、清水サユリの名前は伏せられ、別名義でクレジットされている。VHS、LD、オリジナルサウンドトラック バンダイアポロンより翌年1994年5月21日全米先行発売 (2017年現在BANDAI ANIME CHANNEL配信サービスにて全3話有料配信中)後に2ちゃんねるのコアなアニメファンの間で『ジェノサイバー 虚界の魔獣』のエンディングテーマを歌っていたアーティストは誰だと話題になり、たまたまそれを見かけた清水本人が、ブログ内でこの当時のことを説明している。全米にファンが多く2017年時点でエンディングテーマ『Fairy Dreaming』のYoutube再生数60万件を超える。
数社のメジャーレコード会社やプロダクション関係者がライブを見に来るまでになったがR3D解散          
故有名俳優の半生を奥様の女優が描いたベストセラー作品の映画化の企画が挙がり、主題歌の作曲依頼を受ける。その当時ピアノのバラードを得意としていた清水は、数時間で主題歌、挿入歌の2曲の詞に曲を付け、女性歌手も清水のメロディーを気に入り歌いたがっていたが、企画自体がポシャリお蔵入りとなる。   
ソロシンガーソングライター清水カタカナ表記のサユリ『清水サユリ』として活動開始
デモテープを聞いたプロデューサー(元伝説のロックバンドBOOWY『Moral』のディレクターをしていた人物)がいち早く清水の才能に気付きスカウト、全曲清水の楽曲でデビューさせることに決まる。即レコーディングに入り、10月某メジャーレコード会社と2年契約  この頃よりヒップホップのダンスレッスンを約2年間マンツーマンで受ける。

1994   

新設レーベル春の一押しアーティスト『超強力大型新人』(レコード会社が勝手に決めたキャッチコピー)に対し、清水本人は「メカみてえ」と突っ込みを入れていた。当時のレコーディングスタッフによると、スタジオ中央のソファーに座っている姿がプロデューサーの様に貫禄があり、周りの大人達にも物怖じしないと評判であった。デビューシングル2枚同時リリース・カップリングの4曲全てにタイアップを付けると言う新人では異例の待遇であった。『雨の帰り道』(True Blue Skyに収録)は某局○9ドラマの主題歌に決定するが、一般公表日の前日に他社より圧力をかけられ他のアーティストに覆る。清水本人はそんな音楽業界の裏事情に呆れ冷めていた。その他の楽曲もいくつかのバラエティー番組のオープニング・エンディングテーマ等のタイアップが付く、半年先の題名も内容も知らないドラマの主題歌、挿入歌、オリンピック中継のテーマソング等、音楽雑誌の取材、音楽番組出演の話しが来ていた。 『Fly away〜空の果てまで』(True Blue Skyに収録)は、冬季オリンピックのテーマソングとして清水が、ピアノで3分で書き上げた楽曲、最初はバラードであったが、8ビート ロックアレンジに変えたことで更に良くなった。某航空会社春のキャンペーンのCMタイアップの候補にも挙がっている。音楽業界20年以上のベテランプロデューサーが、歌のうまい日本の女性ロック歌手の4人に無名の清水サユリをあげている。この当時事務所のスタッフの間でパチンコが流行り、六本木駅前のパチンコミナミや宇宙センターは常連 清水は何度も資金500円〜1000円以内で10箱以上の大当たりを出し、その度に自宅へ事務所スタッフや関係者を集めて鍋パーティーをするのが楽しみであった。親友のドレスデザイナーより新作ウェディングドレスのブライダルモデルを依頼され、32着のウェディングドレスの撮影に挑む。その他クラブイベントのファッションショウに出演。友人と六本木のクラブへヒップホップダンスの成果を試しに踊りに行くと来日中のエリッククラプトンがイキナリ現れ、ドサクサに紛れて7mの至近距離まで近づく。

〜1997

信頼のおけるスタッフ数名と共に新事務所へ移籍
ジャンプ競技をイメージした『HANGIN'TOUGH』と『Blue Sky』のリリース日はいつか、某テレビ局より事務所へ問い合わせの電話が入り冬季五輪のテーマソングの最終選考に残っていることが判明する。
楽曲製作、イベント出演 ギターのレッスン、レコーディングの日々を送る。         
『LONER』(『TrueBlueSky』収録)と『右の腕の中に・・・』のアレンジをNYのミュージシャン、キーボディストのキースがR&Bテイストに仕上げレコーディング、キースのプロモーターが清水のソングライティングセンスと歌声を聴き、事務所の人間をスタジオの外へ呼び出し「NYで売れる、NYに行った方がいい」と真剣にNY行きを勧められる。  バンドのボーカルとしてデビューの話しが持ち上がるが、ソロへの拘りが強くリハ2回で脱退

1998  

音楽出版社に籍を置きスタジオワークを重ね、ボーカル録りのノウハウを習得する。
高円寺のライブハウスにてピアノとギターによる弾き語りライブを開始 バックバンドのメンバーを増やし月1回のライブ活動続行

1999  

高円寺JIROKICHI でのワンマンライブを最後にライブ活動一旦休止。
自宅にPro Toolsを導入 レコーディングシステムを組みレコーディングに没頭する。
2000年目前の12月末 西新宿の有名な占い師の母に素性を明かす前に
「あなたの天職は作家又は、音楽関係の仕事です。あなたは大丈夫だから自分の信じた道を行きなさい。」と告げられる。

2000〜2004

音楽へのこだわり、自分自身の在り方の追求が以前にも増し完全フリーとなり
自主制作プライベートレーベル lilyrock Records を旗揚げ
セルフプロデュ−ス・全作詞作曲アルバム 『True Blue Sky』をリリース

2005  

都内ライブハウスにて単独でライブ活動再開                    
10月8日、米ロサンゼルス市の最も有名な引退者ホームKeiro Retirement Home慰問公演と日系人敬老会チャリティーショウを開催、翌9日 第19回敬老昼餐会 ランチョン&ショー ロサンゼルスオレンジカウンティーの仏教徒教会の体育館にて50年程前に日本を後にし、渡米され80歳に成られた日系人の方々を表彰しお祝い。この日のメインアトラクション芸能祭の第2部にて清水 サユリショー 約1時間半のステージの舞台構成・演出等全て自身で手がける。ロサンゼルスの日系新聞 羅府新報に掲載され、UTV(カリフォルニア州全土の放送局)にて放映される。このショウで、清水は客席全員一人一人に歌いながら握手をして回り、後に敬老会副会長夫人より、「今まで沢山の歌手の方をお呼びしましたが、一人一人に握手して回ってくださった方はあなたが初めてです。」と清水の歌声と、優しさに感動したというお言葉をいただく。
11月 劇場公開映画 『レストラン』約60組の楽曲コンペを勝ち抜き最終の公開ライブ審査にて自作曲 『Peace sign』(『TrueBlueSky』収録)が挿入歌に決定

2006  

横浜山下公園氷川丸ボードウォークのイベントライブにて毎週末2ステージMCとレギュラー出演
9月 LUV MUSICにて楽曲ダウンロード開始おすすめアーティストに掲載

2007  

NetLive 『さんさのネットでカラ騒ぎ』の第一期生決定                                      
4・5組のミュージシャン仲間で『ストQ組』結成。代々木公園を皮切りに毎週末土、日曜日合同でストリートライブを決行 秋葉原・溝の口・横浜山下公園にて勢力的にストリートライブを展開                         
11月念願のライブ音源を含むセカンドアルバム『Eternal Gipsy』発表 編曲も手がける。                 
年間約80本のライブをこなす。


2008 

更に池袋・さいたま新都心にてストリートライブ展開
12月末池袋西口駅前でストリートライブをしているところ、たまたま通りかかったプロダクションの社長にスカウトされる。

2009

その流れで事務所より依頼を受け、年明け1月より、西武新宿線狭山市駅西口駅前再開発地区との連携で,工事期間中特設ステージを建て、許可ありのストリートライブを開催 ライブイベントのMC、アーティストブッキングを任され自らもレギュラー出演、毎週末土日のライブを1年間やり遂げる。さくら祭り、狭山市の七夕祭り、冬のキャンドル祭りなどのライブイベントや、狭山市FM茶笛(チャッピー)狭山市ケーブルテレビなどに出演。その他ライブハウス、毎月第二日曜日NPOふれあいフェスタ船橋駅前イベントにレギュラー出演
まさかの右上の奥から3番目の歯が乳歯であったことが判明する。レントゲンを撮ると、永久歯は出てこられず奥に潜んでいた。清水曰く 「やっと大人になれたわ」とのこと

2010  

7月 iTunesStore・amazon はじめ 国内・海外400サイトにて                                
清水サユリ アルバム『Tlue Blue Sky』 『Eternal Gipsy』全曲ダウンロード開始                       
大江戸インパクト!勝どきビュータワーオープニングイベントライブ出演  

2011   

新ネットラジオ番組『サユリコのセクシーダンシングオールナイト!!』のパーソナリティと、企画構成編集を手がける。

2012  

海外ダウンロードサイトYouTubeMusicにて『リアル』作詞・作曲清水サユリ(『TrueBlueSky』収録)が3万件ダウンロードを突破                  
      
現在、ライブ活動を控え、楽曲製作とサードアルバムのレコーディング等に赴きを置き、これ迄の作曲数は約300曲。



監修:清水の元スタッフ









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